教室の歴史

田内 久 教授

医学部発足時(昭和25年(1950))に病理学教室は1講座制で、初代教授として田内 久先生が昭和22年(1947)に着任され、昭和33年(1958)まで11年間務められた。昭和33年(1958)には名古屋大学医学部病理学第二講座の教授に就任され、昭和49年(1974)には名古屋大学医学部長を歴任された。昭和52年(1977)からは愛知医科大学教授および学長に就任された。また、昭和58年(1983)から愛知医科大学加齢医科学研究所の初代所長として長年活躍された。肺癌および老化の研究に携わり、多くの業績をあげられた。

佐藤 壽昌 教授

第2代目教授として、奈良県立医科大学教授から昭和34年(1959)1月に就任され、昭和48年(1973)3月まで14年間務められた。佐藤先生は木下 良順先生の門下生で昭和22年(1947)にバターイエローによるラット肝癌発生の研究に携わった。着任後は、病理学教育の重要性を認識され、学生研究生として多くの研究生を病理学の現場に招き入れ、「屍は師なり」と独創的な教育を施された。また、医学における病理学の役割と責任の重大さを強調され、人体病理学の重要性を説かれ、積極的に病理解剖を執刀された。昭和46年(1971)4月に医学部長、同年12月には名古屋市立大学学長を歴任された。門下生である助教授の林 活次先生はバイオプシー診断の第一人者で、とりわけ膵癌診断に長け、昭和53年(1978)に愛知医科大学教授として赴任された後、膵癌取り扱い規約の病理学会代表として活躍された。

伊東 信行 教授

佐藤教授の定年退官後、奈良県立医科大学時代の愛弟子の伊東信行先生が3代目教授として、奈良県立医科大学教授(附属がんセンター研究所長)から昭和49年(1974)9月に就任され、平成6年(1994)3月まで20年間務められた。米国留学で学ばれた国際的センスで、伝統的な日本の発がん研究を国際的な水準にまで引き上げられた。特に、食品添加物BHA (butylated hydroxyanisole)のラット前胃発がん性を見いだされたが、この研究を契機にDNAを傷害しない非遺伝毒性発がん物質の存在と、用量に依存する安全性の考え方(リスクアセスメント)が評価法として定着した。そのほか、PhIP (2-Amino-1-methyl-6-phenylimidazo[4,5-b]pyridine)など多くの発がん物質の同定を行った。また、2年間の発がん性試験を短期化する試みとして、ラット中期肝発がん性試験(伊東法)を考案され、国際的にも有用性が認知された。これらの成果により、昭和60年(1985)に高松宮妃癌研究基金学術賞、中日文化賞、平成3年(1991)に読売東海医学賞、平成7年(1995)に武田医学賞、紫綬褒章、平成8年(1996)に日本癌学会吉田富三賞、平成13年(2001)に望月喜多司記念賞、平成15年(2003)に瑞宝重光章が授与された。また、人材育成にも力を注がれ、門下生から数多くの大学教授あるいは部長を輩出した功績により、平成17年(2005)に米国トキシコロジー学会(SOT)から第1回教育賞(Education Award)が授与された。学会活動も日本癌学会、日本病理学会のほか多くの学会で活躍され、平成6年(1994)10月には第53回日本癌学会総会を新設の名古屋国際会議場にて主催された。本学においては、医学部長(平成3〜4年度)を務められたほか、名古屋市立大学学長として平成6年(1994)4月から平成12年(2000)3月まで2期6年の満期を務められ、本学に3学部1センターを新設して6学部1センターとし、公立大学の中でも有数の総合大学にまで発展させ、その功績は著しい。

白井 智之 教授

伊東信行教授の後4代目の教授として、平成6年(1994)9月に助教授から昇任され、平成23年(2011)3月まで17年間務められた。伝統の動物実験においてラット前立腺がんの発がんモデルを確立され、発がんメカニズムの解明や、がん予防への応用など常にヒトの疾患を念頭に置いた動物実験を実施し活躍された。また、内分泌攪乱物質の影響や、携帯電話などから発生する電磁波に対する安全性に関して動物実験による検討を行ったほか、NEDOプロジェクト「高精度・簡易有害性(ハザード)評価システム開発」のリーダーとして活躍され、社会的要求に対して動物を用いた研究で成果を示した。日本癌学会や日本病理学会の評議員および日本毒性学会の評議員、理事長を務められ、平成20年(2008)2月第24回毒性病理学会総会を名古屋国際会議場にて主催した。また、平成23年(2011)11月高松宮妃癌研究基金・第42回国際シンポジウムで組織委員長を務められた。平成21年(2009)から医学研究科長を勤められ、平成23年(2011)3月に定年退官された。平成23年(2011)10月から名古屋市総合リハビリセンターのセンター長として活躍された。